CO.HACHIOJI元気な企業インタビュー

第29回 (有)大原織物

新しい『繊維のまち八王子』に向けて!

取材先 (有)大原織物(代表取締役 大原 進介)

所在地 八王子市小門町8-19

電話 042-623-0515

e-mail texohara@coral.ocn.ne.jp

 「繊維総合産地八王子」目指して取り組む大原進介さん。

昔から八王子の地場産業といえば“織物”。かつてJR八王子駅北口には「織物のまち八王子」と書かれたモニュメントがそびえていた。それほど八王子は日本有数の織物の産地であり、近隣随一の栄華を誇っていたのだ。

 現在も市内を歩けば家並みの間に織物や染物の工場を見つけることができる。中でも小門町にはかつて多くの工場があり、耳をすますと織機の音が聞こえていた。今日はそんな一角に位置している大原織物に訪れ、大原 進介(おおはら しんすけ)さんからお話を伺った。

 

 

『コンピュータージャガード』により多品種・小ロットを実現!

大原織物の主力商品は服地、ファッショングッズ生地である。中にはストールやマフラーになったり、メジャーブランドの時計バンドや靴の内装材として使われるものもある。それら多種多様な生地に小ロット生産で対応する。これが大原英雄織物工場の得意とするところだ。「とにかく、繊維業界を取り巻く環境は厳しい。その中で生き残るには、ニッチな分野をできるだけ多く狙ってつかむことです。そのために常にアンテナを伸ばして、きっかけがあったら『必ず挑戦する』」。こう語るのが大原進介さんだ。
   デザイナーの斬新さと大原織物の技術力がコラボレーションした製品の数々。
  こうした“ニッチ狙い多品種小ロット志向”を支えるのが「コンピュータージャガード」である。コンピュータージャガードとは電子化された織機のこと。例えばコンピューターグラフィックで描かれたデザインは、フロッピーディスクに落とし込みさえすればデータが直接織機に反映され、生地として織り上がるのである。かつては意匠屋や紋紙屋が手作業で行っていた過程が一気に解消され、織りの短納期とコストダウンが実現した。進介さんはこのシステムを織物業界の中でもいち早く、10年以上前から導入しているのだ。
 

 

デザイナーは奔放であれ! これが大原のスタイル

   コンピュータージャガードのデータ通信部分。デザインが落とし込まれたたくさんのフロッピーディスクがある。 大原織物のニッチ・多品種・小ロットの生地製造を支えるもう1つはデザインである。これはデザイナーによって提供されるが、一般的にデザイナーはあまり織物の技術には詳しくない。時には雑誌の切り抜きを持参して「こんなイメージで」と言うこともあれば、およそ実現困難な突拍子もないデザインを持参するデザイナーも少なくない。しかし、どんなデザインでも「断ることはあまりない」という。むしろ「デザイナーはあまり織物の技術について知らないほうが良い」というのが進介さんの考え方だ。「なまじ知っていると発想がそこで止まってしまう」からだ。「突拍子もないデザインこそ“生地の命”であり、それを実現させるのが織り屋の仕事」と、ここでも『まず挑戦する』という姿勢を貫いているのである。

  「言ってみればデザイナーと織り屋は二人三脚だから」と、進介さんは若いデザイナーも大事にしている。例えば糸の段階から撚りを変えた何種類もの生地を試作品として提供したり、織機に横糸だけを準備してデザイナーに好きなように使わせたり・・・ 実際に糸や生地に触れることでデザイナーが描いたイメージをデザイナー自信が明確にできるような環境を作り出しているのだ。この、デザイナーを技術面から育てていく大原織物のスタイルのおかげで、メジャーに育ったデザイナーも多いとのことだ。

 

 

『挑戦』が結果を生み出す!

大原織物は、進介さんの父・大原英雄氏が1960年に創業した。当時はネクタイ生地の製造で「織物のまち八王子」の一角を成したという。しかし、進介さんが経営に関わる頃には、すでに「自社の設備によるネクタイ生地の製造だけでは今後織物業界で生き残っていけない」と難しい判断を迫る時代になっていた。そこで大原織物は、7~8年ほど前からネクタイで培った技術を徐々に多分野へ応用し始め、様々なジャンルにも対応できるような体力をつけてきた。

さらに、生地の素材や加工についても様々なトライを続け、幅広い対応力をつけてきている。特に、もともとネクタイ素材として馴染み深いシルクでは、他の繊維素材を組み合わせた“ハイブリッドシルク”という複合素材に最近は力を注いでいるという。そして、絹素材の持つ静菌作用に注目した靴の内装材用生地の開発・製品化に力を入れているそうだ。

       ジャガード織機。今はフロッピーディスク内のデザインがそのまま具現化されるため、紋紙を使うよりも短納期・コストダウンが実現できる。

こうした進介さんがねらう次なる「挑戦」は自社の“工房化”だ。今のように生地の製造だけではなく最終的な製品化まで手掛け、自社ブランドを確立するのである。そのために「異業種とのコラボレーション、新技術、新素材開発、差別化に力を入れていきたい」と進介さんは意欲を燃やしている。

 

『織物のまち八王子』から『繊維総合産地八王子』への脱皮へ!

    機械でつくられたインパクトのある進介さんの名刺。

展示会等で評判が良いそうだ。

八王子の他にも日本には西陣、桐生など名高い織物産地がいくつかある。その中でも「八王子は最も大消費地の東京に近い産地。また、織物の全工程を市内だけでカバーできるのも八王子の強み」と進介さんは“織物のまち八王子”の持つポテンシャル、底力を指摘する。

八王子には地場の繊維関連事業者が集まり、ファッション都市づくりの推進、産地内・外の交流、産地の活性化等に取り組む組織「八王子ファッション協議会(www.hfc-net.org/)」があり、進介さんはその会長に就いている。そして“織物のまち八王子”のポテンシャルを信じ、織物のみならず捺染、染色、撚糸、ニット等関連業種全体を活性化させ、「繊維総合産地八王子」を実現するために仲間と一緒に尽力している。「今は若いデザイナーが沢山いる。彼らから『八王子に来れば創りたいものが創れる』と言われるほどの産地にしたいですね」と述べる表情には静かな決意が漂っていた。

 
編集後記
八王子の織物は、八王子が「桑の都」と呼ばれるくらい桑の葉が一面にしきつめていた数百年の昔、農家に副業として機織の技術が生まれたのが始まりだそうだ。幕末から明治初期にかけては生糸の集散地となり、ここに集荷された生糸は「絹の道」を通って横浜へ運ばれた。その後八王子は、関東平野の周辺部にある秩父・桐生・足利・結城などと共に、「絹織物の町」として栄えてきた。第二次世界大戦の時は空襲で設備の90%を破壊されるという大きな打撃を受けながら廃墟の中から織機を調達して工場を建て、戦後の経済成長を支えてきたのだ。八王子の織物事業者にはそんな粘り強さと「地場産業」という誇りがあり、今日の八王子の礎は彼らによって造られたと言っても過言ではない。
 現在日本の織物業はデフレ状況の影響に加え、中国からの低廉な製品の大量流入により苦戦を強いられており、そんな八王子もかつての元気さがない。しかし、こんな時代でも「八王子ファッション協議会」のような繊維関連事業者の若い世代による集まりがにわかに活発化しており、例えば同協議会は都心で展示会「職人とクリエイターの21世紀展」を開催する等、徐々に実績として現れ始めている。歴史と伝統を備えた八王子の織物業が、まさに新たなフェーズに移らんとしているのだ。会長に就いている進介さんには「新しい織物のまち八王子」実現のために、これからも是非頑張って頂きたい。
(取材日2002年12月12日)