CO.HACHIOJI元気な企業インタビュー

元気な企業インタビューとは

 八王子市で活躍する元気な企業をご紹介いたします。“キラリ”と光る独自の技術やユニークなサービスで注目の企業経 者にインタビュー。 人物上や体験談にスポットを当てた地域企業の発信コーナーです。企業の実力の詳細が掲載されていることから、お客様のニーズに見合った パートナー先を的確に探すことが出来ます。
 「@Co.Hachioji」の内容は、資本金、業種、従業員といった一般的に見られるデータベース的な紹介ではなく、過去のエピソードや得意とする技術話など、 社長の人物像を中心に読み物的に紹介されております。紹介企業の内容が分かりやすく掲載されており、これを起点にビジネスに発展したケースが数多く出ております。

第100回 (株)テック

『息切れせず動き続ける』

取材先 株式会社テック(代表取締役 中原 綱一郎 氏)

所在地 東京都八王子市高倉町38-8

電話 042-645-4121

URL http://tecgrp.com/

スマートフォンやパソコン、テレビなどの電子機器。また近年、発展目まぐるしいIoT技術。これら私たちの生活を豊かにする製品や技術に欠かせないものがプリント基板である。プリント基板とは、細かな電子部品が載せられたボード。回路を構成する電子部品同士を電気的に繋ぐなどといった役割がある。この電子回路が正常に繋がっていないと、高度な製品や技術が、機能しなくなってしまうため、大変重要な分野と言える。

 

日本には、素晴らしい技術力を持ったプリント基板の中小製造業が多く存在する。その中で、CO.HACHIOJI第100回目を迎える今回は、2代目社長として紆余曲折しながらも、現在進行形で新たなことに挑戦し続けている㈱テック代表取締役の中原綱一郎(なかはら こういちろう)氏に、挑戦への原動力や今後について、過去のご経験を振り返りながらお話しいただいた。

代表取締役 中原 綱一郎 氏

                 

49年間培った製造ノウハウ

(株)テックは昭和44年、先代である父、中原俊男氏が電子機器設計製作会社として創業した。現在、電子回路やプリント基板の設計業務をメインとして、その他アッセンブリ(組立)、はんだ付け、部品調達、電子機器設計開発業務も行っており、最近では無線機器や高周波無線機器の設計も得意としている。

 

「約50年に渡りプリント基板の設計を行っています。お蔭様で、これまで培った技術力からお客様からの信用もいただき、多種多様の設計実績があります。もはや【QCD】※(「Quality(品質)」「Cost(コスト)」「Delivery(納期)」の略)は常識ではありますが、それでも特にこだわりのあるお客様から『やっぱりテックの品質は最高だ』と言っていただけることは嬉しいですね。もちろん失敗することもありますが、失敗したことに対して、どう対策するかを積み重ねた結果、今の品質レベルに繋がっていると思っています」。

電子回路の設計図

 

先代から積み重ねて得た確かな技術力が自社の強みと話す中原氏。続いて、中原氏が入社した経緯と当時の苦悩や葛藤についてお話いただいた。

経営知識がないまま社長へ

中原氏の前職は従業員200名規模のIT企業。約5年勤めLSI(大規模集積回路の略)設計に従事していたが、父の病気が発覚したことに伴い、平成15年にテックに入社。前職の経験を活かしLSI設計を担当した。当時テックにはLSI設計の環境がなかったため出来る人がおらず、自身1人で営業から案件獲得、設計、アフターまでこなしていたとのこと。はじめは案件も取れず、給料もほとんどもらえていなかった。一方で、前職の経験を基に自分の仕事論を押し付け、従業員と対立することもしばしばあったとか。

 

「会社はこうあるべきだ。が口ぐせでした。ろくに仕事をしていない自分が言うのですから、従業員の不満は相当なものであったと思います。」

 

しかし入社から1年経った頃、固定客を獲得でき会社に利益をもたらすようになり、従業員からも徐々に実力を認められてきた。

 

「その頃には、営業は回らず設計者として業務をしていました。1人でも仕事が回らなくなり、父に相談したところ、本格的にLSI設計部を作ることになりました。迷いなく人を雇用してくれて、3人で新たな設計部を結成することができました。」

 

約3年かけてそこまでの体制まで築き上げた矢先、平成18年、先代である父が亡くなった。

 

 

「父が亡くなり、突然、社長になりましたが、経営については何も教わっていませんでした。しかし、LSI設計部門は好調で、自分が会社の売上を伸ばしている自負がありました。ですので、危機感は無くこれまでと変わらず、自分は今の設計業務をこなして拡大していけばいい。そう思っていました。会社経営ってこんなものなのかと。今思うと本当に調子に乗っていた時期です」。

 

自身では順風満帆と思っていた最中、平成20年にリーマンショックが起こり、売上は前年の半分まで落ち込んだ。そんな中、経理担当者から思いもよらないことを聞かされた。

 

「社長。口座にお金がありません」。

 

そんなはずはないだろうと思い、月次の試算表を見てみると、確かに給料や仕入価格や固定費など、気づかぬうちにお金が減っていっていた現状をここで初めて知った。中原氏はそれまで財務状況をほとんど把握していなかったのである。

 

「お金が無いという状況をこれまで知らなかったので、大変焦りました。しかし運が良いことに先代が会社に相続してくれた保険金があることを知りました。このお金と金融機関からの借入で何とか耐えることができました」。

 

しかし資金繰りは悪化していく一方。やむを得ず従業員のボーナス支払いも止めざるを得なかった。

 

「従業員からは相当な反発を喰らいました。辞めていく人も出てきて、会社にいた設計部隊8人のうち、その時期残ってくれたのは2人だったと思います。仕事は増やさなければいけないけど、設計者は減っていく。だから獲得した仕事も回らない。もはや現実から目を背けるしかなく毎晩飲みに出歩いていました」。

あるベテランの言葉が心を変えるきっかけに

 自暴自棄になり間接部門従業員のリストラを実行していたころ、とあるベテランの言葉が中原氏の心を変えたという。

 

「これまで大変テックにはお世話になりました。自分が辞めることが会社にとっていいのであれば、遠慮なく解雇してください」。この言葉を聞いた当時のことを中原氏はこう語る。

 

「大した考えもなく、リストラをしていた自分に腹が立ちました。なんて馬鹿なことをしていたのかと。結局その人は一度辞めてもらいましたが、もう一度頭を下げて戻ってきてもらうよう伝えたところ、『会社にとってお役に立てるのであれば』と文句も言わず戻ってくれました。」

 

そこから、中原氏は心を入れ替え、会社を立て直すため、従業員を守るため、目の前の仕事をコツコツこなし、これまで目を背けていた“経営”について勉強をするようになった。リーマンショックで落ち込んだ売上高も翌年には9割方回復するまでになり、以降は着実に売り上げを伸ばしてきている。

 

「従業員は今も昔も変わらず真摯に仕事に取り組んでいる。一番変わるべきなのは会社の体制でも何物でもなく、自分自身だったのです。会社は自分のものではない。先代が作ってくれた会社を継続していくことが使命であると、その時期に気付かされました」。

 

積極的な海外展開

リーマン後の復調以降、順調に売上拡大しているテックは、人材雇用を含めた海外戦略を積極的におこなっている。昨年は韓国、今年はフィリピンのインターンシップ生を1名ずつ正規雇用している。

 

「今般、全業種の中小企業は人材不足に悩まされていると思います。弊社の平均年齢も約43歳と高齢化が進んでおります。ただ、世界的にみるとまだまだ優秀な若い人材は豊富にいます。言葉や文化の壁は確かにありますが、その壁にぶつかっても外国人雇用は進めるべきであると考えています。弊社もまだまだ人材不足に悩んでおり道半ばですが、引き続き海外に目を向けていきます」

 

海外へ目を向ける理由は人材雇用だけではない。中小企業製造業として生き残るため、世界にマーケットを広げることの重要性について中原氏は次のように語った。

 

「製造業はこれからもっとピンチになることは間違いありません。雇用面だけでなく、受注の先行き。つまり“1年後、果たして今の仕事って本当にあるのか”といった危機感があります。」

 

人口減少に伴いマーケットも縮小する。狭い日本だけで事業展開するリスクについて中原氏は危機感を持っていた。一方で近年の中国やベトナムの躍進など、世界市場は目まぐるしく動いている。海外進出にはそれ相応のリスクが伴うが、それでも経営資本が潤沢にない中小企業は、国内に絞らず世界に挑み続けなければならないという。

 

「外的要因に影響を受けにくい“クリエイティブ”なものを生み出せる体制づくりが中小企業に必要と考えています。日本の多くの中小企業が受け身の仕事に浸かってしまっており、主体的に動くことが不慣れな企業が多いと感じています。そんな中、自ら行動し作り上げていく事に拘りたいです。海外はそんな日本の中小企業の動きをしっかりと評価してくれる環境があります。確かな事は、日本の技術力はまだまだ高いと言えることです。しかし、海外なんて無理という日本人のマインドこそが折角の技術力の足を引っ張っている気がします」。

 

「我々はモノづくりのプロですが、残念ながらビジネスでは諸外国に完全の遅れをとってしまったと感じています。テックは外国人を戦略的に雇用し、海外へ挑戦することで生まれる新しいもの、そこに我々の求める クリエイティブ があると確信しています」。

 

これまでの中国やベトナムの躍進で“日本品質”の神話はいつまで続くのか。昨今、目まぐるしく変化する経済情勢。“世界に色んなマーケットがあるのであれば、挑戦しつづけたい”。危機管理に対する中原氏の決意が感じられた。

組立の様子

設計の様子

 

人にキッカケを与える人間になりたい。

中原氏はサイバーシルクロード八王子が主催している後継者育成事業“はちおうじ未来塾”の9期生である。また今期より、未来塾のOB組織に自主運営団体「HFA(Hachioji Future Association)」の会長に就任された。HFAは、将来における八王子産業の活性化と発展を目標にメンバーによる大学への出前講座や未来塾の運営協力、さらに近年ではアイダホ州との交流事業などの活動をしている。非常に活発に動いている団体の会長として、今後の意気込みを伺った。

 

「私自身が、直接何かをしようとは考えていないです。ただ、会長就任を決意した理由の1つに“動くきっかけを与えられたら”という想いがありました。HFAのメンバーには、現状に危機感を持ちながらも各々の事情により動けず悶々としている人もいると思います。ただ、この悩みを共有して話し合えば、自ずと未来に向かってどうすべきか考えが見えてくる。このことをHFAの2年間で気づかされました。今度は会長として、メンバーに実行へのキッカケづくりを与えて行ければ。そう考えております」。

 

中原氏はよく、仲間に「10年後、自分の会社はありますか?」と話をされるそう。この問いに自信をもって答えられる方がどれだけいるだろうか。本来、10年後は会社にとって通過点に過ぎないはずである。それが答えられないのは、もしかしたら“未来が見えていない”からではないだろうか。未来を見据えて動き出すきっかけを与えることが、HFA中原会長のこれからの使命なのであろう。

 

「私も現在進行形で色んな事トライしています。10年20年社長をやってきた人間ではないので、大した経験談は話せないし偉そうなことは言えないです。しかし30年後に話できるようにするために、今いろんなことに挑戦しないといけません。HFA会長就任は逆にプレッシャーになっています。どんどん結果を出していく次の動きをしていかなければならない。これからも息切れしないで動き続けます」。

 

編集後記
私が初めて中原氏にお会いしたのは3年前、未来塾9期生として入塾されたときであった。既に社長業をしていたことや、落ち着きのある言動から同期から兄貴的存在として慕われていたことが印象的であった。しかし中原氏はその時も、なかなか人には言えない会社の悩みを多く持っていたはずである。未来塾をきっかけに、悩みを打ち明けられる多くの仲間が出来たと言っていただいたときは、主催者の事務局として、大いなる喜びを感じた。今後も、そうした会社が1社でも多く出るように未来塾運営を全うしたいと思うとともに、㈱テックの今後の更なる発展を期待したい。

 (取材日2018年5月10日)