CO.HACHIOJI元気な企業インタビュー

第75回 (株)タッチパネル研究所

30年の実績を誇るタッチパネル(抵抗膜式)のリーディングカンパニー

取材先 (株)タッチパネル研究所(代表取締役 三谷雄二)

所在地  本社     八王子市散田町5-27-19

モニター事業部 八王子市元本郷町1-10-14

電話 042-666-6686

URL www.touchpanel.co.jp

代表取締役 三谷 雄二さん

 今から約30年前、一つの画期的な材料が開発され世に誕生した。「透明導電性フィルム」である。開発当初は、作ってはみたものの、この材料にどんな使い道があるか見当もつかなかったという。

 しかし、この「透明導電性フィルム」は現在、銀行やコンビニのATM、駅の券売機、そして子供に大人気となった携帯ゲーム機など色々なところで使われる「タッチパネル」製品に応用され、見事に進化を遂げたのである。

この材料に開発当初から携わり、現在では設計試作から製造技術指導まで幅広く対応できる業界のリーディングカンパニーとして大きく成長した企業がある。それが千人町の甲州街道沿いに拠点を持つ株式会社タッチパネル研究所である。今回は代表取締役 三谷 雄二社長 にお話を伺った。

 

 

未知の材料「透明導電性フィルム」の誕生

 三谷さんは1964年大学卒業後、得意とする物理の知識を武器に大手ポリエステル・フィルムメーカに勤務した後、1998年に起業した。設立されてまだ10年ほどだが、三谷さん自身の経歴を伺うと驚くことばかりである。

まず、タッチパネルの出発点とも言える材料素材を開発されたこと。そして、紆余曲折の後、見事に現代ニーズにマッチしたタッチパネルという姿に形を変えて開花させたことである。その間には数多くの試練と忍耐があったという。

三谷さんはポリエステル・フィルムメーカに入社後、果敢にあらゆるテーマの開発にのめり込んだという。特に、当時はまだマグネトロン・スパッタリングのない時代、いきなり酸化物半導体のITOをPETフィルムに製膜するテーマに没頭した。

  スパッタリングとは、真空中にアルゴンガスを入れて放電させるとプラズマが発生する。このプラズマをイオン源としてターゲット(対象物)にぶつけると原子がたたき出され、堆積して膜が形成される。これを応用して、スパッタ室を真空にさせて圧力を調整しながら電圧をかけて放電させたものが現在主流となっているマグネトロン・スパッタリングである。また、ITOとはインジウム酸化物とスズ酸化物の混合物によってできた膜(酸化物)、いわゆる透明導電膜である。
 

日経エレクロトニクス表紙(1978年)

 

 3年がかりで出来上がった手作りの「透明導電性フィルム」は1978年にスポットライトを浴びることになる。同年10月30日号「日経エレクトロニクス」の表紙を飾り、特集されたのである。三谷さんは当時をこう振り返る。「光と電気を制御する新しい材料としていつかは認知される。という信念よりも、途中で消えてしまうような不安の方が大きかったです。」

しかし、この開発技術は後発メーカが30年経っても越えられないほどの高品質な製品に仕上がっており、現代にもこの技術が継承されているとは驚きである。

 

 

長いトンネルに入った開発技術とタッチパネルとの出会い

 

パソコンディスプレイに組み込まれたタッチパネル 

 

 メディアに取り上げられたものの、その活用法を見出せず、三谷さんをはじめ研究者達は長いトンネルに入ってしまった。その間、周りの研究者達は次々に違うテーマに移っていったという。孤立した三谷さんは独りこの「透明導電性フィルム」にこだわり、他の各種フィルムの研究開発を続けるも最後まで活路を求め続けたという。「新しい材料開発は時間との勝負です。“いかに早く開発するか”ではなく、“いかに長く耐えるか”の意味での時間との勝負です。新しい材料は業界に認知されるまでに長く時間がかかります。社会環境の変化で突然注目される材料になることがある。途中でやめたら、それで終わりなのです」と三谷さんは語る。確かに研究開発にかける時間と成果が世の中のニーズとシーズに必ずしも一致しない。数ある技術開発の中で時代に受け入れられるものはほんの僅かなもの。三谷さんとってまさに試練と忍耐の連続であった。
 そんな三谷さんに転機が訪れる。アルプス電気がいち早くタッチパネルを開発し、三谷さんはその材料の提供者として活路を見出すことができた。1990年代に入り、IT産業が急伸する中でタッチパネル産業が花開き始めたのだ。三谷さんは高透明タッチパネル、干渉縞防止技術、アナログ式タッチパネルの評価技術などを開発し、1991年にタッチパネル業界に本格参入した。

タッチパネルは、ディスプレイモニタと重ね合わせて使用される。入力面が透明なため、目には見えないが、指やタッチペンで押すことにより様々な方法でX・Y座標情報を検出して処理される。

この方法は画面表示された内容に対して直感的に扱え、特別な知識を必要とせず、誰でも扱い易いことが普及につながった最大の要因である。

 

 

タッチパネル研究所の誕生

 タッチパネルとの出会いから数年後、三谷さんは一念発起勤めていた大手メーカーをスピンアウトして起業した。「勝算があったわけでなく、もうこの道しかないとの思いで、わかりやすい社名を付けて創業することにしました。」と三谷さんは当時を振り返る。

すっかり世の中に浸透したタッチパネル。普段、私たちが使用しているATMや携帯ゲーム機などのタッチパネルのパネル材料にはそれぞれの用途に応じた幾つかの方式がある。主に分類すると、券売機やATMなど不特定多数の人が使い、耐久性の求められる機器には光学式、静電容量式、超音波式があげられる。もう一つに、軽量・薄型・消費電力が少ないというモバイル用途向けの特徴を持つ抵抗膜式がある。

同社では抵抗膜式を得意とし、設計、製造、検査、販売、技術指導まで一貫したサービスを提供している。抵抗膜式は、PDAや携帯電話、ナビゲーションシステム、ゲーム機などの中小型のディスプレイ用の入力機器として普及している。現在の主な取扱品は、航空機の客席についているディスプレイで、航空機の世界のトップシェアを占めているという。ハイスペックが求められる航空機業界での高いシュアから、同社の高い技術力とその確かさがうかがえる。

同席いただいた営業担当の廉澤氏はこう付け加える。「航空業界に限らず当社では携帯端末、FAディスプレイにも参入しています。どの業界もそうですが、耐久性、難燃性、電磁波シールドなど仕様要求が多く、応用力のある技術(求められる技術)と小回りのきく企業が求められます。そういったことでは当社はお客様の要望に臨機応変に対応できることが強みとなっていると思います。」

そして、三谷さんが持つ経験と実績で裏付けられた技術指導(アドバイス)ができることは何よりの強みとなっている。

また、同社では打鍵(だけん)試験機、摺動(しょうどう)文字筆記試験機、超小型高速検査機など各種検査装置を数多く開発・製造しているのも特徴の一つである。

 

電気特性検査を入念に行う。 

 

 

打鍵試験機。タッチパネルの耐久性を検査する。

 

電気特性検査機。

 タッチパネルの入力精度を検査する。

 

成長著しいタッチパネル産業―――でも身の丈に徹する

 

三谷社長(左)と廉澤氏(右)

 

 同社は従業員20数名が従事し世代も若い。廉澤氏はこう語ってくれた。「私はこの業界に入り、大変貴重な経験をさせていただいております。それは、一流の方々と出会い、一流の技術を学べることです。また、社長は従業員を信用し、やりたいことをやらせてくれます。問題が生じた時、社長へ気軽に相談できる社風が整っています。このような企業はなかなか見当たらないでしょう。」 三谷さんは従業員に対し、日頃から口にする言葉があるという。「情報は発信源に戻る。情報が欲しければ、こちらから情報を発信しなさい。“Know HowよりKnow Who”、“水は高きより低きに流れる”。当り前のことだが、この逆をしたらいけない。自然体にしていれば道は必ず拓ける。」
 今後の事業展開について伺った。「これまで1本柱であった当社ですが、部門を3部門に分けました。材料事業部、モニター事業部、加工品事業部の3本柱にして、それぞれの特徴を活かした事業展開を進めていきます。また、事業規模は必要以上に大きくすることなくできる範囲で頑張ってこうと思っています。」

そんな三谷さんだが、海外からの技術指導依頼も多数あり、協力工場も増えつつある。好調な業界だけに事務局としては益々繁栄して欲しいと願うところだが、三谷さんに笑顔で一蹴されてしまった。

ますます応用範囲を広げるタッチパネル産業。三谷さんを筆頭に若い技術者集団タッチパネル研究所が今後どのように発展されていくのか期待したい。

参考文献:月刊ディスプレイ2006年12月号、2007年4月号

 
編集後記
 今回、同社を知り得たきっかけは、商工会議所で発給している原産地証明業務で廉澤氏と出会ったことである。原産地証明とは貿易取引される商品の国籍を証明すること。「貿易取引される商品の国籍を証明する書類」は商工会議所法という「1923年11月3日にジュネーブで署名された税関手続きの簡易化に関する国際条約」によって、その発給権限を与えられた世界共通の証明である。

廉澤氏より同社の事業内容や三谷社長の軌跡を伺い、こんなすごい会社が身近にあったのかと痛感させられ、すぐさま廉澤氏に取材のお願いをした。

三谷社長は非常に温和な方で、気さくに、そして分り易く開発の説明をしていただいた。そして、根っからの技術者であると感じ取ることができた。三谷社長はフィルム一筋に歩んできた。この業界では知らない人はいないほどこの道の先駆者である。同社がここまで大きく成長してこられたのは、三谷社長の技術への執念はもちろん、人徳が成す数多くの方との出会いが原動力となっている。

ここ数年、若い技術者を多く採用しているとのこと。意欲的な若い人材が不足している中小企業にとってはとても羨ましい話である。やはり企業にとって技術の向上や斬新なアイデアを生み出す人材は重要である。また、どんなに良い技術、製品を生み出しても、やはり人との出会いがビジネスを左右する。出会いの大切さを再認識できたとてもよい取材であった。

(取材日2007年8月22日)