CO.HACHIOJI元気な企業インタビュー
第71回 (株)栄鋳造所
Vプロセス工法を武器に鋳造に革命をもたらす!
取材先 (株)栄鋳造所(代表取締役 鈴木 隆史)
所在地 八王子市下恩方町350
電話 042-651-9790
e-mail info@sakae-v.com
URL www.sakae-v.com/
取締役会長 鈴木 敏雄さん
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皆さんは、「鋳造」という言葉から何を連想するだろうか?「鋳造」は、砂や金属で作った型の中に溶かした金属を流し込むことで加工する製造法であり、金属を自由自在に造形できるという特徴から、鉄道、航空機関連部品、自動車部品など産業分野では幅広く使われている。鋳造の歴史は古く、紀元前4000年前のメソポタミアで始まり、日本では弥生時代から鋳造が盛んに行われてきたと言われている。 鋳造法には多くのメリットがあるものの、一方で寸法精度が出し難いなど、どちらかというと“ローテク”のイメージを持つ方もいるだろう。そんな鋳造界に革命をもたらした“Vプロセス工法”を巧みに使いこなし、従来の常識では考えられないような鋳造品を次々と製造するメーカー、それが八王子市下恩方町の繊維工業団地にある株式会社栄鋳造所である。今回は、その株式会社栄鋳造所の取締役会長鈴木敏雄(すずき としお)さんに鋳造に賭ける想いを伺った。 |
時代の流れとともに、鋳造による金型製造にシフト!
栄鋳造所の歴史は、1952年(昭和27年)にまで遡る。映画「キューポラのある町」の舞台となった埼玉県川口市で鋳造所に務めていた鈴木さんの父が、八王子市元本郷町で独立創業したことが栄鋳造所の原点である。当初は個人事業としてスタートしたが、おりしも鋳造部品などが隆盛を極めた時代、日野市にあった大手電機メーカーからアルミ鋳造部品を受注することが出来た。その後高度経済成長の時代とともに、受注量は着実に増えていった。
昭和39年、鈴木さんは高校を卒業すると、長兄の後を追うように栄鋳造所に入社。「幼少の頃から、出入りする職人の忙しい姿を見ていたし、元来ものづくりが好きだった。」という鈴木さん。何の抵抗も無く、父が経営する会社に入ることとなったのである。 |
下恩方町の繊維工業団地内にある(株)栄鋳造所。 |
順調に経営していた栄鋳造所であるが、時代の流れとともに次第に鋳造界を取り巻く環境に変化が見え始める。鋳造はいわば“基盤技術”である。大量生産部品などは、人件費の安価な海外へと流れ始めていた。「従来と同じ仕事をしていては生き残れない。」と危機感を持った鈴木さんは、下恩方町に金型部門を新設、自らが陣頭指揮をとり、より難易度が高いとされる“鋳造による金型製造”に取り掛かったのである。昭和63年のことであった。
結果、現在では工場機能を下恩方町に集約し、金型製造を中心とした事業展開を図っている。
鋳造による金型製造にチャレンジ! ~付加価値の高い鋳造メーカーを目指して~
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栄鋳造所は、アルミ鋳造品を主に手掛けるメーカーである。ただし、大量生産の鋳造部品ではなく、鋳造技術による金型製造、試作品の鋳造、アルミダイキャスト製品を製造している。その中でも特に強みとしているのが、金型製造である。一般に金型は金属加工で製造されることが多いが、鋳造で製造することにより短期間かつローコストで製作可能なのだ。しかし、金型製造を軌道に乗せるまでは、決して簡単な道のりではなかった。
金型へシフトしたきっかけは、ある自動車シートメーカーからの要望であった。シートの素材は発泡ウレタンであるが、この成形金型を鋳造で作れないか?というものであった。様々な鋳造メーカーで断られた挙句、栄鋳造所に白羽の矢が立ったのである。要望を聞いた鈴木さん、持ち前の職人魂に火がついた。「今まで培ってきた鋳造技術で、必ず出来るはず。」と試行錯誤を始めた。 とは言うものの、実際に製作に取り掛かってみると、出来上がるのは欠陥品ばかり。何故、金型製造が難しいのか?それは、一般鋳造品と異なり、その工程に人の手が入るためである。当時一般鋳造品であれば、ほとんど自動化され、木型さえ決まれば金属を流し込み、最終製品をつくることが出来た。しかし、金型は“最終製品をつくるための型”であるため、形を取った後に、製品本体の肉厚の分だけ削る作業(肉出し)が必要となる。例えば、肉厚3mmの製品を作るのであれば、3mm分だけ削り出す必要があるということだ。当然、厚みは均一でなければならない。まさに今まで行ってきた工程とは異なるノウハウが求められたのである。数ヶ月にも及ぶ試行錯誤、「当時は、ほとんど寝ずにどうしたら出来るのか、考えていました。」と鈴木さん。苦労の末、見事金型鋳造技術を身に付けたのである。 |
工場内では、かなり繊細な作業が行われていた。また、ベテランと若手との間で上手く技術継承しながら働いている印象である。 |
鋳造革命!Vプロセス工法との出会い
こうして “鋳造技術による金型製造メーカー”へと進化した栄鋳造所であるが、平成7年大きな転機を迎えることとなる。ある時、「Vプロセス工法」なるものの装置メーカーが営業に訪れた。鈴木さんにとっても初めて耳にする工法である。Vプロセスとは、「Vacuum Sealed Moulding Process」の略で、真空状態で造形することで、より木目細かな鋳造品を製造することが出来るという画期的な工法であった。栄鋳造所の技術力に目をつけた装置メーカーが、Vプロセス工法導入を提案してきたのだ。
しかし、本来鋳造は、型をつくり、そこに注湯(金属を流し込むこと)することにより、最終製品をつくる。この「Vプロセス工法」は、より精度の高い鋳造を実現するものである。しかし、鋳造によって金型をつくることが難しかったように、Vプロセス工法であっても金型をつくるということは、いわば“応用問題”なのである。装置メーカーは、あくまで“道具”を提供するにすぎない。その道具を使って、どのように応用し、金型をつくるのか?この答えは、自ら導き出すしかなかったのである。 |
Vプロセス工法の装置。フィルムを被せ、真空状態にして造形するため、細部にわたり表現することが可能だ。 |
Vプロセス工法を武器に、さらなるステップアップ!
Vプロセス工法により生み出された製品。従来の鋳造法では考えられないような造形美である。 |
鈴木さんは、導入に踏み切って良いかどうか悩んでいた。その背中をそっと押してくれたのは、奥様の言葉だったという。「今までも、自動造形機の導入、金型製造への挑戦と乗り切って来たでしょう?」この言葉に、勇気付けられた鈴木さんは、Vプロセスプラント導入に踏み切った。しかし、Vプロセス工法による金型製造(ウレタンシート発泡金型)は、極めて困難とされていたものである。予想どおり導入当初は失敗の連続であった。
Vプロセス工法は、木型にプラスチックフィルムを被せ、真空状態にすることにより、細部にわたり形状を再現することが出来るものである。金型を製造する場合、従来であれば型を取った後に“肉出し”をしていたが、Vプロセス工法では、木型に求める肉厚の分だけ粘土を盛る必要がある。当然肉厚が均一にならなければ、製品にはならない。鈴木さんを筆頭に、社員も一丸となって試行錯誤したという。その間、得意先からの仕事は途絶えることはない。日常の仕事と技術開発とを並行作業でこなさなければならなかった。時に納期遅れを生じ、クレームが来たこともあったという。過去、幾多の苦難を乗り越えてきた鈴木さん。何事も絶対に諦めないという姿勢で、見事Vプロセス工法による金型製造を実現したのであった。 その後、ホームページで紹介し始めると、次々と引き合いが来るようになった。精密機器メーカー、半導体製造装置メーカーなど、精度の要求水準が高い企業から受注できるようになり、顧客の幅も広がったのである。「今思えば、あの時よく従業員が付いて来てくれたと思う。」と、当時を振り返る鈴木さん。この言葉に当時の苦労が表れている。 |
単なる鋳造メーカーでは終わらない! ~図面から最終製品へ一貫したサービス展開~
栄鋳造所は、単なる鋳造メーカーから進化し、“図面をいただければ、最終製品まで製造することが出来る”総合力を身に付け、新境地を拓いている。お客様の要望は多種多様である。全てのニーズに鋳造技術だけで対応することは難しい。鋳造、金属加工技術とそれぞれの良さを活かしたサービスの提供を目指している。既に段階的に放電加工機、NC工作機などを導入し、その体制を整えている。鋳造で成形した部品に、さらに切削加工、研磨を施し、より高精細な部品加工へと対応することが出来るのだ。
また、図面から製品へと繋げるために、3次元CADも取り入れた。この中心的な役割を果たしているのが、後継者である鈴木隆史(すずき たかし)さんだ。まだ30代の隆史さんが、若い感性を活かし、積極的にCAD導入を進め、設計、木型・樹脂型製造、鋳造、金属加工と一貫して製造出来る体制を構築した。鈴木さんは、「今後は、従業員もいろいろな仕事を経験してもらい、多能工化していきたい。」と抱負を語る。 常に時代を先取りし、顧客ニーズに対応しながら進化を続ける栄鋳造所。鈴木会長の職人としての技と知恵、そして隆史さんの新しい感性が加わり、更なる飛躍を遂げることだろう。 |
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栄鋳造所では、一貫した加工を実現するため、3次元CADを始め、NC工作機などを導入している。 |
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鋳造技術は、日本では奈良時代に銅鐸、刀剣、釣鐘、そして仏像などがつくられるようになり、各地に広がったのは平安時代と言われている。鋳造は、金属を自在に操れるという特性から、様々な分野に広がり、また金属を溶かして活用するということから、リサイクル率の高さも特徴のひとつである。
また、砂(鋳造砂)と炉があればスタート出来、初期投資が少なく済んだことから、戦後急激に鋳造所が増加したとも言われている。一方で、鋳造は金属加工に比べ、加工精度が出し難いこともあり、どうしてもローテクなイメージを持っていた。さらに、東南アジアの台頭により、人件費の安価な地域(東南アジア)へと基盤産業がシフトしているという実態もある。事実、「キューポラのある町」川口市でも鋳造メーカーは減少傾向にあるという。 |
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鈴木会長に、様々な技術的なハードルを越えて来た秘訣は?と訪ねると、「30年以上鋳造技術を培ってきたからこそ、応用が利くんです。」と答えてくれた。しかし、「今の若い人は、原点となる鋳造技術を学ぶ機会が少ない。こうした原点の技術を伝えていくことが重要だと思う。」と、若手の育成にも積極的だ。日本の基盤技術の大切さを学ばせていただいた取材であった。