CO.HACHIOJI元気な企業インタビュー

第92回 (株)内野製作所

『高性能歯車を創り出す唯一無二の存在「内野製作所」』

取材先 株式会社内野製作所(代表取締役 内野徳昭社長)

所在地 東京都八王子市戸吹町2105番地

電話 042-696-6210

URL http://www.uchino-ss.co.jp/

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代表取締役

内野徳昭氏

 自動車やオートバイを造る上で欠かせないもののひとつ『歯車=ギア』。これは主に動力の伝達に必要となるもので、減速・増速や回転方向の変化にも用いられる。

 

 今回は、その精密歯車の試作加工、自動車・オートバイレース用歯車の加工を行う株式会社内野製作所の代表取締役社長内野徳昭氏にお話しを伺った。

 

 同社は昭和2年創業。歴史と実績を積み重ねてきた企業である。近年では、平成23年に本社社屋を八王子市戸吹町に全面移転。平成25年には東京商工会議所主催の第11回「勇気ある経営大賞」大賞を受賞するなど、日本を代表する中小企業として走り続けている。

 

先代との葛藤

内野製作所の本社外観

 

 内野氏は大学卒業後、外資系の石油会社へ入社する。そこで2年ほど経験を積み、内野製作所へ戻ろうとしていた。しかし先代からは「お前が来てもやる仕事はない。」の一言…。それならば仕方がないとサラリーマンを続けた結果、仕事は面白くなる一方で、気が付けば11年の月日が経っていた。その頃には仕事はもちろんのこと、家庭を持つまでの男になっていた。

 

 丁度、その時期に内野氏は母から「徳昭が戻らないなら会社をたたむ。」と先代が話していることを耳にする。これをきっかけに平成10年2月、内野氏は内野製作所に帰ってきた。戻って数カ月後に、先代は取締役相談役となり、内野徳昭代表取締役社長が誕生することとなる。しかし、社長交代はそんなに簡単なことではなかった…。

 

 会社の実権は先代が変わらず持ち続けていたため、2人の間には方針の違いで様々な争いが起きていた。当時はwindows95が普及した時代。内野社長は社内にEメールやホームページの導入を検討していた。また社員の高齢化が進んでいたため、新たな仲間を迎え入れることなども考えていた。しかし、息子がやろうとすることを、先代は良いものと捉えてはくれなかった。そんな事細かなトラブルは絶えることがなかったそうだ…。

 

 先代は内野製作所と同じ昭和2年生まれ。強い創業者意識と自分が全てをやってきたという自負を持った方だったそうだ。先代が内野社長にすべての仕事を任せてくれたのは、亡くなる3カ月前。そんな関係の2人であったが、最後は息子の考えを認めてくれる“親”と“子”になれたそうだ。

 

 

一社依存からの開拓 / 他社が真似できない製品

歯車

内野製作所の精密歯車

 

内野製作所の工作機械

 内野社長が戻った当時は、仕事のほとんどが昭和50年代に先代が獲得した本田技術研究所1社に頼るビジネスであった。内野社長はこのままではいけないとの危機感を抱き、まず会社案内やホームページを作成し、会社PRのための基礎固めを行った。また11年間勤めた石油会社から畑違いの世界に飛び込むためには、休みなく現場を飛び回り、動いて、見て、分からないことがあれば一から勉強をして、様々な知識を得るために相当な努力をされたそうだ。

 

 会社PRのためには、海外研修や工作機械メーカー主催のセミナーなどに積極的に参加し、自動車・オートバイメーカーに対して売り込む努力を行った。その地道な努力を積み重ねた結果が、あのヤマハ発動機と仕事をしていくことに繋がる。この自らの手で掴み取ったチャンスをきっかけに多くのメーカーとのコネクションが生まれ、一社依存の時代から一気に仕事の幅を広げることになった。取材の際にも内野社長は改めて語っている。「今の時代、一社依存体質はどの業界においても良くないことだと思います。」

 

 内野製作所は、他社では不可能な仕事も求められる精度を落とすことなく、やり抜く技術力がある。その技術力を支えるのが“人”と億を超える価格の“工作機械”である。他社が真似できない製品として、F1、MotoGP、ル・マン24時間耐久レース、全日本GT選手権などの自動車・オートバイレースの部品。また航空機メーカーの部品の取り扱いも行っている。

 

 

 

従来の工場イメージを覆す社屋

 創業の地は八王子市の本町。小さな工場からのスタートだった。戦後は新町、その後は大和田町。そして現在の戸吹町へ…。内野社長は大和田町の会社に戻った当時から新工場設立を考え、石油会社時代に様々な工場を訪れた経験から“工場とはどうあるべきものか”を学んでいた。ただ、先代からは「新しい工場を造る必要はない。増築と改修で十分だ。」と言われていた。しかし、この新工場設立を止められていたことが結果として良い方向へと繋がっていく。まず、この期間に国内全ての自動車・オートバイメーカーと取引を行うことができ、売上が飛躍的に伸びた。また、戸吹町の土地を手に入れるチャンスにも恵まれる。様々な条件がタイミング良く重なり新工場は設立に至った。結果的には、中途半端な工場を造ることなく、最高な形で工場は完成したのである。

 

 内野社長は新工場のコンセプトを考える際に国内外の様々な工場を視察した。その中でもヨーロッパの工場は日本とは違い、光を取り入れたものが多かったそうだ。「日本には美しい四季があり、とても環境の良い時期がある。その時期はヨーロッパのように積極的に外気を取り入れた方が良い。」と内野社長は感じていた。幸い、立地条件にも恵まれ、新鮮な外気と光は入るが、厄介な熱が入らないという内野社長が思い描いたコンセプトの一つを取り入れることができた。

 

 内野製作所は歯車を作っている会社である。しかし、一見しただけでは決して工場とは思えない。白を基調とした清潔感ある造りとガラスを前面に出した近代的な造りが印象的である。“ここは一体何をしているところなのか”と訪れた人が驚く建物。一歩中へと入れば、しっかりとした工場機能を備えながらも、自然環境に配慮され、何よりも綺麗に清掃された職場がそこにはある。

 

 また、新工場の大きな特徴の一つとして、開放感溢れるガラス張りの食堂が存在する。内野社長はみんなが食事をする場所は、会社の中で一番良いところと決めていたそうだ。その結果、毎日、美味しい食事が食べられる社員はもちろん、来客された方々にも非常に好評な食堂となった。以前は外で食事を取る必要があったため、貴重な時間を失っていた。しかし、今は食堂ができたことにより、前述のとおり、お客さんには満足して頂き、効率良く時間を使えるようになったそうだ。

 

内野製作所の社内

 

内野製作所の工場内

 

内野製作所の食堂

 

    

 

内野製作所で働くということ

 

 

 

 

 内野社長の中には「仕事は格好良くやりたい」というものがある。「歯車を作っている仕事は地味であり、どちらかといえば泥臭い仕事と思われるかもしれない。でも働く人には常に高い意識を持って欲しい。そして、決して汚れ仕事ではないということを言いたい。」と内野社長は語っている。制服も以前まではいかにも工場制服というものだったが、それを一新して、見た目から清潔感のあるものにした。

 

 量産会社の場合、部門は頻繁に変わることもあるが、内野製作所が創る歯車の試作は部門ごとに行うことが違うため、他へ異動して簡単にできるという訳ではない。そのため、固定して働くことが多いそうだ。内野社長は「多能工という言葉は良いと思います。だけど、万能にできるというのは難しい。だから、万能な必要はなく、むしろ、今の部門で光る技術を身に付けて欲しい。」と考えている。

 

 社員の平均年齢は36歳。一番上が70歳、一番下が20歳。新工場完成からは受け入れ体制が整い、この経済状況下で2年続けて新卒を7名採用している。また、内野製作所の特徴として、能力のある人には定年だから辞めて下さいということを言わない。そこからは力のある人には頑張ってほしいというメッセージが伝わってくる。

 

 内野製作所は「勇気ある経営大賞」大賞を受賞し、メディアにも注目される状況にある。会社の知名度は確実に上がっている。良い仲間がまた集まってくることにより、会社はこれからより良くなると内野社長は期待している。

 

 

 

これからの内野製作所

 国内での仕事が好調なため、最近では海外進出についてよく質問されるそうだ。商社を通じての仕事は多少行っているが、海外で仕事をするにあたっては“距離”と“言葉の問題”を考える。試作の仕事は量産とは違い、図面を頂き、相談を受け、何度も直接会ってコミュニケーションを取る必要がある。一からものを創る仕事の特性上、簡単にインターネットなどを利用してできる仕事ではなく、直接会うコミュニケーションがとても重要となる。メーカー側も書いた図面が本当にモノになるのかが気になり、途中の段階でも確認したいということがよくあるそうだ。そのため、特にコミュニケーションの問題で海外のメーカーと仕事をすることは不可能だと判断し、現在のところ、海外進出は考えていないと内野社長は言う。

 

 

 今は日本の全自動車、全オートバイメーカーと仕事ができるようになった。さらに、同業他社に出ていた仕事が“内野製作所の製品は良い”ということが周知され、流れてきている傾向にある。こうした現状を踏まえて内野社長は最後に語ってくれた。

 

 「まずは、一番大切な良い製品を創るという部分をますます強固に太くし、絶対に品質不良を出さないようにしたい。メーカーさんの要求を的確に聞き、それを社内に落とし、またメーカーさんに戻すという基本的なことをしっかりと行いたい。そうすることによって、一層、各メーカーさんとの強いパイプが築けると思います。また、製造業は納期が大変重要なため、納期をより短縮できるようにしたい。今、会社は良い状態なので新しい機械を買っています。他社には無い今より優れた工作機械を増やし、絶対に真似できないぞということを社内外にアピールしていきたいと思います。」

 

 

 
編集後記

 

 今回の取材では、内野製作所の製品や工場の素晴らしさを実際にこの目で見ることで、より感じることができた。しかし、とても強く印象に残っているのは、先代の鐵雄氏と現社長の徳昭氏とのエピソードである。親子でありながらも、お互いが経営者。共に意見を譲らない関係。一般的な家庭とは違う世界の話であった。

 

 常に問題意識を持っている人は多い。しかし、内野社長のようにその問題を解決するために、行動を起こす人はどれ位いるだろうか…。私自身にとって、今回、取材させて頂ける機会を得たことは、とても刺激となり、貴重な経験のひとつとなった。今後も内野製作所には、八王子を代表する企業として走り続けることを期待したい。

(取材日2013年10月28日)