東和プリント工業(株) バックナンバー

良い時に次の施策を考える

取材先 東和プリント工業(株)(代表取締役 三村史郎)

所在地 八王子市散田町5-6-5

電話 042-666-0272

e-mail info@twp.co.jp

URL www.twp.co.jp/

どんな電気製品にも動かすためのなくてはならない司令部がある。そのひとつに電子回路(IC)等を配線して貼り付けているプリント基板という絶縁体がある。これは、多くの回線が入り組んでいるために、誤作動しないよう電流が混線しないようにしなくてはならない。また、大きさも用途に合わせ大きいものから小さいものまで、千差万別なのである。今回は、そのプリント基板を製作している東和プリント工業株式会社の三村史郎(みむら しろう)社長を訪ね、お話を伺った。

 

 

プリント製造企業として

 東和プリント工業は電気製品には欠かせないプリント基板の製造を行っている企業である。三村社長が東和プリント工業を興したのは今から22年前。三村さんは学校を卒業すると日野市にあるプリント基板製造企業に就職し、入社1年で実績を評価され課長に昇進するものの、同じ現場で毎日必死になって働いている工場長の姿をみて、「将来はああなるのかな」と密かに自分にだぶらせ思っていたそうである。しかし、「どうせやるなら、雇われるのではなく、自分の会社をつくろう」と思った三村さんは、パートナーをみつけ共同経営として独立する。そこで7年間経営に携わった後、考え方の方向性によって暖簾分けという形でプリント基板製造企業の東和プリント工業として再独立したのである。創業当時、奥さんと二人だけだった社員は、この22年間に子会社を含めると約300人にもなる企業に成長していった。その秘訣は・・・・。
    セットアップ工程の様子。ガラスの上に銅の薄膜がついているものに、樹脂をのせている。
 

 

目をつけたのはアミューズメント基板

    余分な銅の薄膜をとってしまい、回路部分だけを残すエッチングと作業。  ここまでの成長は、三村社長の手腕によるところが大きい。「忙しい時に次の施策を考えておく」が三村さんの心掛けているところだとか。社長曰く「簡単なことのようだがこれがなかなか難しい」そうである。景気が良い時に事業がうまく進んでいると、これが永劫的に続くと錯覚してしまい、ついつい人は遊びがちになる。その後、事業が悪くなってから次はどうしようと考えるから市場の動きへの対応が遅れてしまうという。そのために、三村さんは常にアンテナを高く持ち外部からの情報収集を心がけ、会社としての進むべき道の判断材料としているのである。
そのような中、三村さんが目をつけたのは、アミューズメント基板の製造である。将来、単純労働は人件費の安い海外に行ってしまうと予見していた三村社長は、日本で勝負できるものは何かと模索していた。結論は小ロットのものや真似ができないような先端技術または日本固有のもの。そのようなことからアミューズメント基板に着目したのである。

 

 

短納期納品は社員が同じ方向を向くことで可能

「納期・品質・コスト」これは町工場における商売の三大原則、その中のひとつでも特化できれば十分勝負できると三村社長は言う。東和プリント工業が創業時から一貫してウエイトを置いているものは、納期だそうである。アミューズメント基板は、試作から開発までの期間もかなり制約されており、又非常に厳しい納期限が設けられるそうで、東和プリント工業では毎日ダンボール200箱もの基板を指定どおりにメーカーに納品している。当然ながら工作機械は24時間フル稼働。マンパワーも注がれているのである。「これを継続できるのは、社員ひとりひとりが同じ方向を向いていなくてはできない」と三村社長。その要素のひとつには、ISO9000の取得があげられると分析する。ISOを取得したことにより社員が製品づくりの工程ごとの責任感が強くなったとともに、作業に無駄がなくなり、社員のものづくりに対する意識向上に一石を投じたというのだ。
     東和プリント工業株式会社。上が散田町にある本社。下が美山工業団地にある美山工場である。

 

次世代をみつめて

     X線穴あけ機。プリント基板は製造工程で何枚も異なる素材を重ねる。そのため、ターゲットポイント(穴を開ける部分)が中に隠れてしまうので、X線でそのポイントを探し、穴を開けるのである。 三村社長は後継者へも考えがある。「会社の存続と安定が一番」と語る三村さんは現在59歳。会社の若がえりを図るため、あと1年で一線を退き次の代へ社長の座を譲ろうと考えている。そのため、30代後半の3人をピックアップして、約1年半前から経営コンサルティング会社に研修に行かせ、経営のノウハウの勉強させてきているのである。「現状にとらわれない若い発想で頑張ってもらいたい。そうしないと企業の活性化は図れない」ということだそうだが、後の数年、三村社長はアドバイザーとして残り、経験が浅いというところの手助けをしながら、若手取締役を一人前にしていきたいと考えているそうだ。「本当は55歳で代を引き継ぎたかった」と三村さんは振り返るが、忙しい毎日と関係者に反対されてしまい実現が延びてしまったという。
「今回は実現するために、敢えて周囲の関係者にその構想を言い続けている」それは・・・。「人に公表することで、後戻りしないために既成事実をつくるため」と言う。常に先を見据え新しい展開を図ってきた、三村社長ならではの言葉である。

 

 

社長というポジションはカケをやっているのと同じ

 三村社長は、設備投資にも積極的だ。「良い製品をつくるには良い工作機械は不可欠。綱わたりだけどね」と謙遜しながらも、高価な機械を何台も購入している。社員のモチベーションを同じ方向に向けることもさることながら、あらゆる基板の製作に対応できる秘訣はここにあるのかもしれない。また、東和プリント工業は現在、散田町の本社と美山工場とあるが、さらに、2年前に購入した弐分方町(いずれも八王子)に今秋新工場が竣工する予定である。「いつも迷いは持っているもの。社長というポジションは毎日カケをやっているのと同じ。これが好きでなくてはやっていられない」と三村社長は言う。この工場建設には、『良い時に次の施策を考える』と先述したところであるが、三村社長には次の事業のもくろみがあるという。しかしながら、まだまだオフレコ。「これが成功したら、ひとまわり会社が大きくなる。また、成果が出る頃は新社長の功績になるしね!」と最後に笑いながら『熱い思い』を語っていただいた。
     レジストという塗料を塗っている風景。回路上に銅線を残すところの保護する(コートする)工程である。

 
編集後記
「編集後記を記入」
三村社長は若い人の夢に投資することが好きだという。ある知り合いの息子が飲食店を開業したいとのことだったので、開業資金を出資したのもそういうことからである。「当然本人のやる気と事業展望は聞いて判断したけどね。社員が行ける飲食店ができることも悪いことじゃない。また自分のできることには限界があり、自分ができない部分を若い人に託せるから」とさらりと三村社長は言う。また、八王子市に対してもこの4月に地元産業振興に役立てて欲しいとのことで1000万寄付していただいたところでもある。
 
 驚くことに、東和プリント工業が創業してから22年間に赤字になったことはないとのこと。また社員同士で行きたいところが一致すれば何人か集まって5日間ぐらいならば、旅行に行かせているという。交替制ではあるが24時間操業という厳しい労働条件のなか、社員の操縦桿を握っているそういった社長の心遣いが、社員のモチベーションを維持していくことに繋がっているのではと感じた。
(取材日2003年7月25日)