CO.HACHIOJI元気な企業インタビュー

第91回 (株)大島椿本舗

『確かな品質と信頼-愛され続ける椿油のパイオニア「大島椿」』

取材先 株式会社大島椿本舗(代表取締役 岡田一郎社長)

所在地 東京都八王子市兵衛2-35-4

電話 042-637-8811

URL  http://www.oshimatsubaki.co.jp/

IMG_2     代表取締役の岡田一郎さん
 

 ヘアケアからスキンケア、食用など幅広く利用される椿油。椿の種子から搾られる油は良質で、古くから日本人に愛用されており、最近は商品化するメーカーが増えている。

 そんな中、株式会社大島椿本舗は早くから「椿油」に着目し、創業から86年にわたり椿油専門メーカーとして、ヘアケア・スキンケア商品を提供している。

 今回は、八王子のニュータウン地区みなみ野に製造拠点を構え、国内をはじめ海外展開を視野に時代の最先端を目指す椿油のパイオニアである同社3代目の代表取締役岡田一郎氏にお話を伺った。

 

 

伊豆大島-椿油との出会い

 キービジュアル画像

 

 創業者岡田春一氏は大学在籍中の大正末期に、卒論テーマ探求のため、伊豆大島を訪れた。数日間、島中をめぐり、美しい豊かな自然の中で椿油が生活の一部に使われていることに着目した。そこで、一念発起し、椿油の素晴らしさを世に広め、伊豆大島の産業を盛り立てていこうと決意する。
 1927年(昭和2年)、現在の大島椿グループの礎となる合資会社大島椿製油所と自社ブランドであるヘアケア用椿油「大島椿」の誕生である。
 創業時、コロッケ6~8個が10銭の時代に椿油は小瓶で30銭と、非常に高価であった。そこで、春一氏は30銭が用意できない人にも椿油の良さを知っていただきたいという気持ちから、銅壺に椿油を入れ一軒一軒の家をまわり、量り売りをすることから販売をスタートさせた。その後間もなく、デパートでの取り扱いが始まり、商品知名度が格段に上がっていく。当時デパートで扱われる商品は厳しい商品検査を通過した一流品ばかりで、デパートに商品を納められることは大変なステータスとなったという。

 

 

戦前から戦後にかけて

発売当初のデザイン

創業当時の大島椿ボトルデザイン

 
 1930年(昭和5年)、大島での製造を続けるとともに、東京都小石川区(現在の文京区)に東京工場を設立して事業を拡大する。この頃より「大島椿」のほかに「大島椿ポマード」を発売するなど、経営も軌道に乗り始めた。
 その後、時代は第二次世界大戦に突入する。戦時中は八王子市西浅川町へ疎開し、畑を耕し自給自足の生活をしながら、想像以上の苦難を強いられる。当時鉄や銅などは非常に貴重な材料であった。椿油を精製する製造釜は軍用の食事に使用したり、搾った椿油を軍に納めたという。

 

 戦後は大島のあんこさん※たちとともにPRのため、全国を宣伝カーで行脚し、徐々に全国へ「大島椿」を浸透させていった。
 

 

宣伝バス

 ※都はるみさんの名曲「あんこ椿は恋の花」でも有名な「あんこ」とは、もともとは目上の女性に対する敬称で、お姉さんが訛ったものとされています(姉っこ、姉こ、・・・、あんこ)。特徴は、絣の着物に前垂れ、頭に豆絞りの手ぬぐいです。特に前垂れは前掛けとは言わず、着物を締める帯の代わりをしたためあんこ衣装には帯がありません。以前は特別な衣装ではなく、普段着または作業着として着られていました。現在では、お姉さんと言うよりもこの衣装を着た女性の通称として使用しています。(大島町HPより引用)

 

 

大島椿の椿油とは

 椿油は本来独特の匂いや粘り気がある。しかし、製品の品質や使いやすさを考えると、匂いや粘り気は少ないほうがよい。
 そこで、同社では精製技術に何よりも力を入れている。搾りたての原油は水分やガム質、微量金属、におい成分等の不純物を含んでおり、これらは品質の劣化を促進する原因となる。「精製」とはこの不純物を除去する工程である。
「もっとよい使用感で、多くの方に満足していただきたい」という思いと精製技術の進歩により改良を重ねて誕生したのが、現在の匂いもなく、べたつかない椿油「大島椿」である。椿油の主成分であるオレイン酸トリグリセリドは人間の皮脂にも含まれるため、頭皮や髪への馴染みが良く、しっとり感が持続する。
椿油3種 
左から原油・頭髪用ツバキ油・精製ツバキ油

 

 

自然からの贈り物を活かしきる

種子②    大島椿グループの全てのヘアケア・スキンケア商品には、椿油が配合されている。椿油は無農薬で栽培された天然の椿の種子から搾られる。種子を細かく砕いたら、圧搾方式という上から重さをかける方法で油を搾り出す。こうして採れる椿油の量は、種子ひと粒からわずか約0.3g。大さじ一杯の量を得るには、45粒もの種が必要となる。
 また、木が多くの実をつけるようになるまで、およそ20~30年という長い年月がかかる。一年に一度、限られた量しか収穫できない種から搾る椿油は非常に貴重な自然からの贈り物である。この、良質で貴重な素材を最大限に活かすため、同社は椿油のエキスパートとして、日々研究開発と商品開発を続けている。

 

手荒れしない“椿シャンプー”の開発に成功

 大島椿は“人と社会に貢献する”ことを企業理念に掲げている。椿油の研究は、人の役に立つ、安全で良質な商品を提供するために行われている。その例が、1975年(昭和50年)に発売された、現在の低刺激性商品アイテムのベースとなる椿シャンプーである。当時、主婦層の悩みとなっていた手荒れや湿疹を改善する商品として、医療機関が椿シャンプーに目をつけた。特に皮膚科ではケース単位で購入されるなど反応も良く、その後販路はスーパーマーケットなどにも広がっていく。
 しかし、販路拡大に伴って、小売店では目玉商品として扱うようになり、当然お値打ち価格として安売りする傾向が広がった。これによって大島椿商品が安売り商品というイメージがついてしまうこと、また価格競争となり利幅が少なくなることで販売店が減り、その結果、商品を本当に必要とされるお客様の手に届かなくなるという状況を生み出した。
 そこで、当時社長だった先代は、一番売れている時期に発売中止に踏み切った。それは大島椿というブランドを守り、さらにはお客様を守る決意の表れであった。

 

 

アトピーに悩む方の一通の手紙

 安全で安心して使える良質な商品をお客様に届けて人の役に立ちたいという創業からの精神は、医療機関でも推奨される「アトピコ」の製品にも反映されている。これまでヘアケアが主だった椿油製品をスキンケアという新たな領域に広げたことは、“髪”と“肌”に優しい大島椿商品というブランドを確固たるものにした。
 
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 岡田社長はある一通の手紙を読み、心境を語ってくれた。「1996年入社して間もない営業時代のことです。お客様相談室に2歳児のお子さんを持つお母さんからお手紙をいただきました。生まれてすぐに我が子がアトピー性皮膚炎に疾患し、痒がって困っている。色々な皮膚科へ行って診てもらうものの一向に改善しない。あらゆる情報を集めて、食べ物や飲み物を試されたそうです。そんなある日、たまたまある皮膚科でスキンケア剤としてアトピコスキンケアオイルをすすめられたそうです。
 “半信半疑でお風呂上がりにオイルを塗ったところ、痒がらずにスヤスヤ眠っている。数年ぶりに娘がスヤスヤ眠っているのを見ることができて感動した。”というお手紙でした。それを見て、こういう困っている方が多くいることに気づきました。そんな方にもっと早く椿油の良さを知っていただきたい。
 そのためには、まずは皮膚科の先生方に知っていただく努力が必要であり、それが私の使命であると痛感しました。アトピコは医薬品ではなく、あくまでスキンケア商品ですが、肌をケアすることで少しでも改善されたこの一件は入社間もない自分にとって大きな出来事でした。いつかこのお手紙の方とお会いしたいと思っています。」

 

 

専門メーカーとして伝統を貫く

 八王子の工場内はとても清潔に保たれ、製造ラインはカスタマイズしたいくつもの機械と情熱を注ぐ従業員の力によって、商品が作られている。 最後に岡田社長は、「当社は大手のような大規模なプロモーションはできないが、『今日も一人の大島椿ファンを作ろう』のスローガンのもとに、お客様一人ひとりに合わせた提案を丁寧にしてゆく活動をしています。  IMG_6931
 昔、椿油は生活の身近な存在でした。この椿油の素晴らしさを多くの方に知っていただき、いつも生活のどこかでお役立ていただけるようにするのが、椿油専門メーカー大島椿の責任と考えています。」と意気込みを語ってくれた。 IMG_6950

 

 
 
編集後記

 

 今回の取材で驚いたことは、椿には国内だけで2千種類(雑種含め)以上の品種が存在することだ。また、椿は古来より愛された花でもあり、幹や葉、花、種に至るまで無駄なところがない貴重な樹木であった。
 その貴重な椿を日々研究開発し、加工している工場は八王子の閑静なニュータウン地区みなみ野に立地している。まさにニュータウン地区に相応しい真新しい工場の玄関入り口をくぐると、女性スタッフの提案により、椿を模った折り紙がたくさんの製品とともに飾られている。ここにもスタッフの情熱や意気込み、そして優しさを感じることができる。
 椿の魅力と熱意あるスタッフとともに岡田社長が次を見据えているものは一体何なのか。今後の老舗“椿油”専門メーカーの事業展開に注目したい。

(取材日2013年10月23日)