CO.HACHIOJI元気な企業インタビュー

第89回 (株)ケイアイ

『あなただけの“車いす”作ります!』

取材先 株式会社ケイアイ(代表取締役 北島伸高社長)

所在地 東京都八王子市小門町85-2

電話 042-622-7266

URL  www.order-ki.co.jp/

  (株)ケイアイ 代表取締役 北島伸高さん

身体的なハンディを持った方や高齢者の方の活動を支える福祉用具「車いす」。現代では使う側のニーズに合わせた多機能のものやファッション性に富んだものまで様々な車いすが利用されている。

 
今回は、「オーダーメイド車いす」の製造販売に特化し、小児用から高齢者向けまで、他社では難しい改修、部品製作にも柔軟に対応し続けている、(株)ケイアイの北島伸高(きたじまのぶたか)社長にお話を伺った。

 

 

日本初の「車いす」を作った会社

 ケイアイは、1936年、現社長の祖父に当たる北島藤次郎氏が「北島商会」を創立し、全国の軍人療養所に車いすの納入を開始したのが始まり。これが「日本で最初に作られた車いす」と言われている「箱根式車いす」である。これは当時の戦傷病者の運搬用として開発されたそうだ。
 戦後、二代目である父への事業承継に伴い、1956年より車いすの専門メーカーとして本格的に事業を開始。以来、着実に会社は成長し、1991年には自社工場を取得、その際に会社名を現在の「(株)ケイアイ」に変更。「オーダーメイド車いすメーカー」としての長年の実績と信頼から、鳩山一郎元首相、尾崎行雄元衆議院議員、乙武洋匡氏など多くの著名人が顧客として名を連ねる。

       
日本で最初に作られたといわれる箱根式車いす
 
 

「介護保険法」制定と突然の事業承継

             事務所内の様子  高度成長の波にも乗り、順調に発展してきたケイアイだが、それ以降の道のりは決して平坦ではなかった。三代目である現社長の入社は2000年。家業を継ぐつもりは全くなかったそうだ。
「当時、長距離トラックを運転してました。天職と思えるくらい実に楽しい仕事でした。しかし夜間、長距離を走る労働環境を母がずっと心配していて。最後は無理矢理説得され、当時交際していた現在の妻とも相談し、しぶしぶケイアイに入ったんですよ」
  入社当初は一番営業エリアで遠い千葉県を担当。「効率悪いから千葉は止めようか」との社長の一言に、反骨精神が芽生える。「悔しかったですね。何としても結果を出したかった」
そしてこの年、ケイアイは一つのターニングポイントを迎える。これまでのビジネス環境を一変させる「介護保険法」が制定されたのだ。
「この法律によって、福祉用具は購入よりもレンタルが優先になり、お客様にとっては今まで以上に安い金額で車いすを利用することができるようになりました。我が社が扱っているのは、あくまでもお客様ごとに仕様の異なるオーダーメイド。これまでの顧客の中心だった高齢者の方々が皆、保険が適用される量産タイプのレンタルに回ってしまい、それを境に売上はじりじり落ち込み、ピーク時の1/3近くまで激減しました。私が入社してから毎月のように一人、また一人と社員が減っていくんです。新人の私にも理解できる非常事態でした」。
 
 更に追い打ちをかけるかのように、その3年後、社長である父が突然の病いに倒れ急逝してしまったのだ。当時、社長と長く苦労を共にしていた旧経営陣も徐々に当社を離れていく中、若干27歳という若さの北島社長が、急遽事業承継せざるを得なくなった。
「突然後を継ぐことになったが、当時社長と言われても何をしていいのか全くわからなかった。とにかく“社長とは何か”を本を買ったりしながら勉強し、まずは累積赤字解消のために、がむしゃらに動きました」
 体型に合わせて作られるオーダーメイドの車いす

 
 当時、重荷となっていた自社工場をまずは閉鎖した。協力工場に頭を下げ、製造を外部委託、少しでも固定費を減らした。また、父の方針で踏み出せなかった「レンタル事業」にも進出した。
「当時は多くの苦労をしました。製造委託した企業からいくら待っても納品がないので調べてみたら夜逃げ同然の状況だったこともありました。当時はその1社しか外注先しかなく、一時期注文を受けても製造できないという状況もありました。営業から戻ってきた社員が『注文とってしまった』と残念そうに悔しがる姿は今でも忘れられません」
 その後、様々な紆余曲折の中、北島社長の行動力と社員一丸となった経営努力の甲斐もあって、2007年には黒字を計上、以来現在まで増収増益を続けている。
「実は、利益が出るようになってからの方が大変です。赤字の時は『どうすれば赤字を無くせるか』だけが目標でしたが、黒字になると、それをどうやって維持、発展させていくかを考えなければなりませんので。売上を増やし経費を減らすということだけでは駄目なんですね」

 
 

自社工場で迅速にカスタマイズ

 ケイアイの強みは、製造全てを外注に頼っているわけではなく、自社でもある程度の「改造」ができるため、顧客の細かい要望に即座に対応できる体制が整っている。
「工場を閉鎖する時、私は全て処分してしまおうと思ったのですが、ある社員が“いつか必ず役に立つから”と一部の機械を自社に残すことを勧めてくれました。今ではそのおかげで細かい改造や小さい部品を自社で作れるので非常に重宝しています
     顧客の要望にはすぐに対応
 
  オーダーメイドの車いすを作る際、顧客の注文を聞いて細かい部分まで全て外注にするのには手間も時間もかかる。基本的な仕様部分については外注するにしても、顧客の利用状況に応じた“微調整”が直ぐにできることが、他社との差別化につながっている。
 先代までは、子供向けの車いすは難度が高く取り組んでこなかったが、入社した当時施設で出会った筋ジストロフィーの子供たちの姿が今でも忘れられず、何か彼らのためにできることをしてあげたいとの一心で、数年前からチャレンジを始めている。
「難しい注文に応えられるということは自社技術の証明にもなります。そこで経験したノウハウはフィードバックされ、他の車いすの製造に必ず活かされると信じています」
 
 

『それって人としてどうなの?』

      社内の目のつくところにこの標語が  今、北島社長が最も大切にしていることは“人を大事にする経営”。従業員と常にコミュニケーションを取り、働きがいを感じてもらえるよう様々な取り組みをしている。「社内MVPの表彰や評価システムは極力『見える化』しています。半期ごとに社員全員と個別面談を行い、社員の目標や仕事の達成具合などを確認しています。また、社員の家族にも参加してもらえるレクリエーションを多く企画しています」
 
 
 良い「仕事」をするうえで家族の理解と協力は欠かせない。ここぞという時に少しでも協力してもらうためには、社員だけではなく社員の家族、また外注先や取引先などステークホルダー全てに対して、感謝の気持ちを忘れない。
 その結果、社員同士の仲間意識は非常に高い。社長に就任してからの離職率は12年間でわずか1名。全17名の社員層が比較的若いことを考えれば、これは驚異的である。
「就職希望者は、会社名(ブランド)や職種、待遇、勤務場所などを見て就職します。しかし離職する時の理由はほとんどが『人間関係』と『労働環境』。中小企業は、社名や規模では到底大企業には敵いませんが、人や環境を大事にすることなら勝てるかもしれません」
 大手と競争するのではなく、中小企業の“良さ”を引き出す北島社長の信念がここにも表れている。
「遅刻するなら事前に必ず連絡を入れる。有給を取るなら社長ではなく担当部署の許可を取り引き継ぎや連絡をしておく。期限を守らなければ罰金。和を乱す気遣いなき行動も厳罰。どれも“人として当たり前のこと”です。でもその当たり前のことができない人が最近多くて困ってますが」
 社員の子供の具合が急に悪くなった時、当社では即退社が許される。そして皆がそれをカバーし合う。明日は我が身、相手の立場に立ち、お互いを助け合うという意識がそこに徹底されている。今の時代だからこそ貴重な人間味あふれる経営を、北島社長にはいつまでも続けてもらいたい。
 
 
編集後記
八王子市小門町にある事務所で、北島社長は長時間に渡るインタビューに快く応えてくれた。今回の記事以外にも、新人社員の育成や「仕事」に対する考え方など、入社3年目の私自身身にしみる示唆を沢山頂いた。「黒字化できたのは運が良かっただけ」と言う北島社長だが、もちろん日々努力していない者に運などやってこない。「未来が不確定だからこそ、今できることをきちんとやり、これから起こる運命を受け入れる」。その姿勢こそ、北島社長の強さであり、ケイアイの強さに繋がっているのだと思う。
 
(取材日2012年11月1日)